ドラマーに潜む「承認欲求」の罠

はじめに
今回はドラマーに潜む「承認欲求」の罠みたいなことを書いてみようかと。
「承認欲求」とは簡単にいうと「他人に上手いと思われたい」というモチベーションのことです。
このテーマに関しては昔に一度書いているのですが、新しい内容を加えつつ、もう少しソフトな笑、文体で書いてみようと思います。
なので今回はちょっとぼんやりしたお話しなので、中級者向けのお話しかもしれません。では本題に。
「承認欲求」というもの
私の場合ですが、楽器を始めた頃はそれはもう一人で練習すらも楽しくてしょうがなかったです。ただ続けていくうちに「承認欲求」という魔物が入り込んできました。
もちろん楽器は楽しかったんですけど、「上手いといって欲しい」「才能があると言って欲しい」そんな気持ちが入り込んできたというわけです。
今振り返るとこいつが相当に厄介なものだったんだな、と思います。
「ものだった」と過去形で書いたのは、今はその欲求が抜け落ちてまた純粋に音楽を楽しめる様になってきた気がしてるので(でもコロナで音楽できないけど)
ただ今振り返ってわかったことなので、当時は厄介なことに、このことにちゃんと気がついてなかったんです。
つまり「音楽が人より秀でている事」と「自分自身の存在価値」がくっついていてしまってたのですね。
「場違いな」叩き方とは?
さて私の話はこのくらいにして。この承認欲求が居座っていると、ドラムがおかしなことになってきます。
ドラムは大まかにわけて「リズム」と「フィルイン」にわかれるのですが、このどちらにも「場違いな」叩き方をしてしまうわけです。
よく「複雑なプレイをするのは音楽的じゃ無い」とかいう話がありますが、私はそうは思わなくて。
複雑なプレイもシンプルなプレイもどちらも良さがあるし、音楽的にもできるわけです。
要は「場違いな」叩き方さえしなければいいんです。
そしてその「場違い」になる原因としてはこの「承認欲求」つまり「うまく思われたい」と無意識に思っていることなんです。
「場違いでないドラム」とは?
では「場違いでないドラム」とはどんなドラムか?それは「緊張と弛緩」が上手く成立している状態です。「緊張と弛緩」はいいかえれば音楽的な「ストレス状態とリラックス状態」のことです。
この「緊張と弛緩」が成立していれば、複雑なプレイもシンプルなプレイもより「音楽的に」引き立つわけです。
ではそれぞれの具体例を簡単に書いてみます。
①「緊張」を取り入れたプレイ
緊張を取り入れたドラムとは、例えば他のパートが控えめになっている「曲の隙間」に怒涛の如く叩きまくるフレーズを入れたりする感じです。
これも「上手いと思われたい」「すごいところを見せたい」と思うと、この複雑な叩きまくるフレーズが曲の邪魔をしてしまうんですね。
これだと「緊張」でなく「やかましい」プレイとなってしまいます。
②「弛緩」を取り入れたプレイ
次は「弛緩」ですが、これは曲を邪魔しない様にドラムを叩く時です。
シンプルなプレイもここに入りますね。曲を邪魔していないので、ここに「ドラムによる緊張感」は生まれません。
上手いドラマーのプレイを聴いていると「弛緩」するときはしっかりと「弛緩」するという使い分けをしているということがわかりますね。
おわりに
というわけで今回はちょっとぼんやりしたお話しでしたが。
簡単にまとめると「複雑なプレイは音楽的では無い」というのは、見方によってはあてはまらないということですね。
音楽は演奏者の「エネルギー」ありきなので、自分がプレイそのものを楽しみつつ「複雑なプレイ」で爆発的なエネルギーを放出すればそれはお客にも伝わると思いますので。
ではでは。