【映画評】ボヘミアン・ラプソディの完全ネタバレな感想

はじめに
今回は現在絶賛上映中の「ボヘミアン・ラプソディ」を先日新宿でようやく観てこれたので完全ネタバレでご紹介したいと思います。
結論を先に言うと「映画代1800円以上のものはしっかりと受け取れる」作品だとは思いますので、気になっている方もそうでない方も「実際に観ていただきたい!」わけなのですが。
それでも「観るほどではないけど、なんか世間が騒いでるし、どんなものなんだろう?」と「ちょっと気になる方」方に向けて私の100パーセント個人的な感想や意見をお届けしたいと思います。
なので「完全にネタバレ」になりますので、その点はくれぐれもご注意ください。では本題に。
バンドのサクセスストーリー感は?
音楽系の映画作品の一つの楽しみというと「最初は鳴かず飛ばずで…」というところから始まるバンドのサクセスストーリーを追体験できるところにあると思います。
本作を見ても世界的なロックバンドのクイーンといっても最初は場末の小さなライブハウスに出ていたところは描かれていますが(この時はフレディが入る前の”スマイル”という名前で活動していた時代ですね)、
割とあっさりとメジャーなバンドとして世界に認知されたように描かれているのでバンドのサクセスストーリーとしてはサラリと描かれているという印象です。
一言でいうと「カタルシス」な映画
私は取り立てて「クイーンのファン!」というわけではなかったので、ファン目線というものは本作品にも持てなかったのですが、なぜか観終わった後の「カタルシス感」というものが一番印象深く残りまして。
それはなんだろう?と考えたときに本作最後のイギリスのウエンブリーのライブの20分に及ぶ再現映像にて、「HIVに感染して自分の残りの時間をしっかりを受け止めながらも人生を最大に生き切るフレディのパフォーマンス」、なのではないでしょうか(このステージがフレディの最後のステージとなりましたし)。
バンドでステージを重ねた人ならわかると思いますが、ライブってもちろん自分の余命とか差し迫ってなくても「今、ここ」という「マインドフルネス」を最大限に感じる瞬間だと思うのです(用は演奏中に、「今晩何食べよう…」とか「昨日あんなことしなきゃよかったな…」とか考えている余地はないのです笑)。
なので本作品のこの最後のライブは究極の「今、ここ」の瞬間を疑似体験できるというところにカタルシス効果があったのかな…と思ったりしました。
もう一つの見所…フレディの孤独感
この作品のもう一つの見所としてフレディの「孤独感」が随所に描かれているところ(ここは泣き所でもあります!)。
ご存知フレディは同性愛者でしたので、他のクイーンのメンバーが次第に家庭を持っても、フレディは女性の恋人とともうまくいかず、男性のパートナーともうまくいかず、巨額の富は築いたので自宅(?)で盛大なパーティーを繰り返しますがその後の虚しさに苛まれ続ける…という場面が描かれています。
そんな中でも最後のウエンブリーのライブの直前に家族(特に両親)と和解した描写や、以前深い関係になりかけた男性を「友達」と紹介していた場面(この「友達」というのが一つのキーワードだったりする)などはグッとくるものがありますね
気になる「音響」は?
そして前評判というか、先に見た人からは「演奏のシーンの音響がよかった!」という話を聞いておりました。
実際に見てみてやっぱり最後のウエンブリーのライブのシーンのステージから見た目線とそのか観客の歓声の臨場感のことかなとみて思いました。カメラワークも自分がステージに立っているような感じも体験できます。
調べてみると2日で15万人という驚異の動員で、ミュージシャンの中でも本当に選ばれた人しか立てないであろうステージの臨場感のほんの一部だけでも疑似体験できるというところは見所の一つでしょう。
ただもし実際にこのステージに立ったのなら臨場感はこの映画の1000倍くらいでしょうね…
おまけ
ちなみに本作品のタイトル「ボヘミアン・ラプソディ」の曲の誕生の経緯については「あーあるある」みたいな感じでした。
つまり業界のお偉方からは「歌詞がわかりにくい」「曲が6分は長い」「ラジオでかけられない」「前作(キラークイーン)みたいなキャッチーなのを作れ」などなど…これを突っぱねてごり押しするシーンの爽快感などは音楽作品の醍醐味ですねぇ。
終わりに
というわけで全体の印象としては凝った伏線もメタファーもなくわかりやすい王道な作品かなと。まだやっているのでぜひ爆音の映画館で!ではでは。