「頭がいいとは文脈力である」という本を要約して「知性」について考えてみた。

はじめに
今回は書評です。
ずっと読もうと思って後回しになっていたこちらの本「頭がいいとは文脈力である」です。
著者は明治大学の教授でコミュニケーションの専門家である齋藤孝先生。
この本の書評の記事はかなりの数あると思うので、今更ここでそのまま書いても目新しくないかなと思います。
そこでこのブログのテーマに沿った内容からの切り口でいくつかご紹介したいと思います。
つまり「バンドをやっている人」なら、常にコミュニケーションは生まれているわけだし、「ブログを書いている人」ならわかりやすい文章を書かないといけない。
さらに「楽器を教えている人」なら短いレッスンの時間で効果をあげないといけない。
そんな人たち、つまりコミュニケーションが日々必要な人たちにとっては参考になる本だと思います。というわけで本題に。
P16:私たち人間は常に意味のやりとりをしている
本書のタイトルの「文脈」という言葉にピンとこない方のために説明しておくと、本書によれば「文脈=文章の流れ」と書いてあります。
文章というのは読むだけでなく会話も含まれますね。
ちょっとした会話でも噛み合わなかったり、逆に相手の地雷を踏んでしまったり、自分の意図に反した答えが返ってきたりしている時はこの文脈が読めていないときですね。
そしていつの時代からか「空気を読む」という言葉が生まれました。
「文脈」という言葉について全くピントこない人に説明するときは「文脈=空気を読むこと」といえば伝わるかもしれません(でも本当はちょっと違うと思うけど)
ということなので、普段の何気ない会話でも、会話を発信する相手は何かしらの意図を持って発しているということが大事である、ということを改めて本書を読んで思いました(例えそれが無意識的な発信であっても)
まぁあんまり疑心暗鬼になりすぎて相手の発言の裏の裏まで読み続けるのも疲れるのですが笑。
P21にも書いてあるように「人は皆それぞれの文脈を持っている」ということは肝に銘じておいた方がいいでしょう。
例えば、「どこに住んでいるの?」という質問一つにしても
1.純粋に相手の住所に興味がる
2.自分の住んでいるところ(もしくは出身地)を自慢したい
3.会話を続ける無難なネタとして
4.ローカルな街トークが好き
などなど、いっぱい可能性は出てきますからね。
P114:「まとめる」「散らす」を自在に扱う
この「まとめると散らすを自在に使う」という言葉は「おおっ!」と思った一節。
本書をもう少し引用。
「たとえば」は文脈を散らす。「つまり」は文脈をまとめる。具体と抽象を往復できる力、これも文脈を作っていくときの一つの工夫です。
これはブロガーとは絶対に必要なことでしょう。
つまりただ抽象的な話の羅列では何を言っているのかわからないし、かと言って具体的な話だけバラバラ書いても、これまた何を言っているのかわからない。
このバランス感覚がうまい文章や面白い喋りには必要ということですね。
そしてこれって以前に過去記事で書いた「音楽は緊張と弛緩である」という内容にも通じるものかなと思います。
つまり人を惹きつけるコンテンツはバランス感覚に長けている、ということはジャンルが違えど同じということですね。
ちなみに具体と抽象の行き来について知るには過去記事に書いたベストセラー「メモの魔力」の書評にも書いてありますよ。
P166:主観と客観の区別がはっきりできる人は話がぶれない
今の内容に続く内容なんですけど、「主観と客観の区別がはっきりできる人は話がぶれない」という一節も合わせて抑えておきたいところ。
この「主観と客観を分けること」は「情報提供型」のブロガーや、楽器の講師など、他人に情報を伝える立場の人には必須かなと思います。
要は有益な情報を発信するということは、こういうことかなと。
①無数にある客観的な情報を取捨選択する
②それらをつなぎ合わせる
③そこに自分の主観を入れる
この場合は①と②が客観的な情報、③が主観的な情報となりますね。
このどれがかけてもそれは相手にとって有益な情報とならないでしょう。
要するに、情報なんてものは過去に無数にあるわけですから、そんな世の中がひっくり返るようなすごい情報なんて滅多に提供できないんですよね。
これって文章に書いているときはまだいいんですけど、会話になるとついつい混じってしまいますよね。
特に感情的な口喧嘩とかはその好例ですね。
まぁ口喧嘩はいいにしても、情報発信をする立場としてこれは常に心がけていきたいなと思います。
終わりに
というわけで今回はこちらの書評でした。
要するに「知性」がある人ってこの「文脈」をうまく使える人なんですね。もちろんその基礎となる勉強(学校のお勉強ではない)も必要なんですけど。
そんな大人になりたいものですね。ではでは。