ドラムの「基礎」とは…実は「難しいこと」だった?という話
先日の記事では、個人練習においては…ドラムの「スポーツ的側面」を練習する事をお勧めしましたが、今回はこの続きみたいな内容です。
そして楽器の「練習」と切っても切れないのが「基礎」という言葉。
つまり我々ドラマーは上手くなりたいから練習をしているわけで。じゃぁ上手くなるとは一体何なのか?ある程度上手くなって来たら「基礎」という概念とどう付き合えばいいのか?
…なんて禅問答の様な話を考えるのもたまにはいいのではないかと思いまして。今回はドラムの「基礎」について考えてみましょう。
まず結論から言うと、「基礎=簡単なこと」ではないということ。
というのも、我々は言葉そのものにとらわれて本質を見逃しているという事が結構ある気がしていて、基礎という言葉はどうしても、「初級者がやるべき簡単なこと」という連想を持ちやすいのではないかと。
じゃあ何なのって話なんですが、今回は「基礎=難しいこと」ということを今回提唱したいと。
それはどういうことか?
例えば「プロ」…という言葉があいまいであまり使いたくないのでドラムの「名手」に共通していえるのは、「安定感」。これにつきます。
ただしこの「安定感」というのも、「テンポキープができる」という意味のみに対応はしていません。ライブ音源など聞くとテンポがよれているテイクはたくさんあります。(ややこしい…)
なので、ここでの「安定感」とは一つのステージ通してリズムがよれたり、音色や音量がバラけたりしないこと、ですね。でもこの、
「リズムは一定に」とか、「音色や音量は一定に」
…とかって一般的に「基礎」として扱われていることなわけです。
それなのに「名手」といわれる人は、ドラマーの中でも一握り…ということはこれって実は程度の差はありますがすごい難しいことなんです。
なので、「基礎は実は難しい」ことだということです。だからドラム習得のプロセスで、伸び悩んでいる場合、「基礎の上に応用がある」ような2層構造で考えるととても残念なことになってしまうかも。
実のところは基礎という太い幹があってその枝葉に応用がくっている感じですかね。また以前の記事でも書きましたが、
応用は意図的にやろうとすると不自然になるようで、逆に基礎を大切にしていれば自然と応用はくっついていくものとも言えます。
じゃあこんな抽象的な話ばっかりでどうすればいいのか?ということですが、趣味で仲間うちで楽しむ程度ならルーディメンツやって、曲に合わせて…というのをひたすら繰り返すのがいいかと思いますが、そこから一つ抜けるために必要なことがありまして。
それが「丁寧さ」です。
要はドラムってものをぶっ叩くという野蛮な?楽器でありながら実は精巧なプラモデルを組み立てるレベルの丁寧さが必要な何ともアンビバレントな楽器なのです。この丁寧さに欠けると、リズムがよれたり、音色がばらけたりしてしまいます。
なのでこの二面性を自分の中でどうやって同居させるか?が抜きん出るひとつの秘訣でしょうか。
ちなみに、今回の記事に関したお勧めのCDは、日本のフュージョンの大御所・カシオペアの名盤「ミントジャム」。
この作品のドラムは、神保彰氏なわけです。計算すると、大学を出たばかりくらいの年齢でライブ盤でここまでの完成度…基礎をしっかりと大切にすることが具体的にどういうことかが感じとれるかもしれません。
というわけで今回は概論なのでこの辺にしときますが、このトピックまだまだいろいろありそうなのでまた思いついたら書いていきます。
ではでは。