ミニマリストなドラマーとしての1つの「究極形」を考えてみました

はじめに
今回はドラムのお話…もありますが、割と楽器をやる人全般に言える話かなと思います。なので今回は「〇〇で悩んでるんだけど…」的なお悩み解決系の記事ではありません。
ただ「楽器をやるということはどういうことなのか?」ということを常日頃から考えている方の何かのヒントになればと思います。
という感じで早速本題に行きましょう。
表現者としての役者はうらやましい
先日このpvを見たのですが改めてプロの役者ってブランコ漕いでるだけでお金を取れる映像になるんだなぁ…と思いました。
つまり「役者は何も持たなくても、場所を選ばず身一つで役者であれる」というところは表現者としては、究極のミニマリズムだなぁ…とちょっと羨ましくなった、というのが今回の記事の発端なわけです。
このブログもミニマリストなドラマーとして「身軽に音楽という表現活動を目指すこと」をコンセプトに書いてきましたが、ドラムはいくらコンパクトにしてもやっぱり「大掛かり」な楽器です。
身一つで表現活動ができる役者にはかないませんね(まぁそれを言い出せば楽器奏者はすべてそうか…)。
結論→歌を歌えるようになろう!
で、結論としては「歌を歌えるようになろう」というのが今回の結論。もちろん「ドラムからボーカルに転向しよう」と言っているわけではありません。
ただドラマーは気軽に演奏という「表現活動」ができないというフラストレーションを、常に抱えているパートなのではないかと思うからです。
更にドラマーはリズムと音色、そして身体の使い方や呼吸を追求してきただけあって、歌と共通する部分が多い。
そしていざ人前で歌ってみると、もちろん本業のボーカリストではないので、本業であるドラム程の気持ちよさには及ばないけど、「それなりに表現した!」という感覚が味わえるんです。
というちょっと結論にしては突飛な意見であることは重々わかっておりますが…ドラマーが何も持たずに身ひとつで音楽を奏でるってのもなかなかオツなものです、ということを言いたいわけなんです。
「ガラクタ」でリズムが演奏ができるように
というわけで「歌」こそがドラマーの究極のミニマリズムであるということを書きましたが、もう一つミニマルな表現活動はあります。
それは「その辺のガラクタでリズムを奏でる」こと。
要は箱とか筒とか空き缶とかあればリズムは作れるということです(なのでこの辺はパーカッショ二スト的なお話ですね)。
まぁ別にこのためにわざわざ練習する必要は無いと思いますが、ドラムがある程度叩ける人ならできると思うので、日頃からやる癖をつけておくといいかもしれません(ただし周りからうるさがられない程度に…)
終わりに
ということで今回は2つほどご紹介しましたが、まぁ結局ドラムを叩くのが一番楽しいという事に変わりはないです笑。
ただ「ドラムを叩かないドラマーの表現方法」についても追求してみると、ドラムがいかに「叩くだけで豊かな表現が出来る楽器である」ということが分かると思います。
今回はそんなミニマリストなお話でした。ではでは