ミニマリストなドラム講師によるドラム論と音楽論。

ドラマーが「曲を覚えること」は役者の「役作り」に似ている?

 
  2019/01/24
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ミニマリストの視点と心理学や物理学を使って「最速最短でドラムが上手くなる」レッスンをしているドラム講師です。
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はじめに

今回はドラムの話ではありますが…エッセイ的と言いましょうか、極めて観念的なお話なので、「○○に悩んでる人は○○するといいですよ!」的な話…ではないのでそのような記事をお求めの方にはあまりお役に立てないかもしれません。

「じゃあ何を書くの?」ということなのですが今回は「曲を覚えるということは、一体どういうことなのか?」について書いてみようと思います。

 

ここでいう「曲を覚える」、こととはコピーバンドでもオリジナルバンドでも同様のことだと思います。冒頭に「今回は即時的な記事ではない」と書きましたが、「ある程度ドラムが叩ける」状態で、「自分のドラムって何だろうか?」とドラマーの実存的な問いかけに入っている段階のドラマーのご参考になればと思います。

もちろん、ドラマーに限らず楽器のプレイヤーなら何か自分のプレイを見つめ直すキッカケになればと。では本題に。

ドラマーが曲を覚えること=役作り?

今回も抽象的な話なので先に結論を言いますと、「ドラマーが曲を覚えるのって役者の役作りと似ている」ということです。

ちなみに私は演劇は一切の未経験であるので、あくまで想像なのですが、こちらの本…セラピストの森俊夫氏の演劇論が随所に散りばめられたセラピーの本なのですが。

楽器という媒介物のあるなしにしても、演劇と音楽は共に、「演者とオーディエンスのコミュニケーション」であるというところは似ているなと気づいたわけです。

 

役者は一定期間「ある役」になりきる

というわけで話を本題に戻すと、コピーバンドでもオリジナルバンドでもなんらかの曲を覚えるわけですし、役者の場合も一定期間ある役になりきるわけです。

 

そして曲というものは一定期間やらないと「忘れて」いきます、つまりライブが終わったり、そのバンドから抜けたりすると自分の中にとどめておいた状態から抜けていくわけです。

これって、役者の人がある期間演じ続けていた役が、その役の期間が終わると抜けていく感覚に近いのではないか…と思ったわけです。

有名な例だと白い巨塔でおなじみの田宮二郎氏は白い巨塔が終了時に自ら命を絶ってしまったりという説があったり…と、これには諸説あるようですが、その役が憑依したなんて説もありますね。

おわりに:曲はデジタル情報の羅列ではない

とうわけなんですけど、今回は決して音楽と演劇の共通点を言いたかったわけではなく、曲を覚えるってそういうことなのではないかな、と思うわけです。

つまり「Aという曲を覚えて、いついつに本番として披露する」という状況が起きた場合は、その曲をその本番の時までに自分の中で一緒にいる感覚に近いのです。

つまり、曲って楽譜にしてしまえばオンオフのデジタル情報なんですけど、それだとどうしても通り一遍というか、聴く側の人にもサラッと聴きながされてしまうのかな…と思ったりしています。

なので、曲を覚えるときはその「曲」を「役」と置き換えてみるとまた違った視点が見られたり、説得力のある演奏ができるかもしれません。

というわけで今回はただ私の思ったことを書いただけです笑。ではでは。

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