「インナーゲーム」とは?の補足~手放すことで得られるもの~

今回は前回のインナーゲームの記事の補足的な記事を書こうかと思って下書きはしたのですが…どうにも最近困ったことというか、最近また読書量が増えてきてドラムの話題のみで記事を書くことが難しくなってきました。
なので試験的にちょっとブログの指向性が変わるかもしれないし変わらないかもしれません。という感じです。どちらにせよ、いちドラマーの忘備録でありボヤキみたいなものということに変わりはありませんが。
さて本題ですが以前にも書きましたが、2015年以降ミニマリスト関連の本にはまってから何冊か似たようなものを読んでいて、最近は専らこれです。
ちなみにミニマリズム=断捨離と思っている人をたまに見かけますが、ミニマリズムは断捨離の上位概念?であり、そのミニマリズムは思想みたいなものであり、でも宗教の教義のようにそこが到達点ではない…(多分)
という何ともつかみどころのないものだと私は常々思うのですがまぁ何が言いたいかというと、どのミニマリスト系の本もその論旨の根っこは似通っているわけですね。
それなのにたまに新しい本を読みたくなるのは不思議なもので、そこに何とも言えない面白さがあったりするのですが。日光浴みたいなものなんでしょうかね?
で、今回読んだなかの一節にこんな内容がありました。
「自分の持ち物が自分のアイデンティティだと勘違いしていた」
「全部手放したら結局自分は何者でもなかったということがわかった」
この内容自体はこの本にも出てきたのですが。
前回のインナーゲームの記事を書いたタイミングだったからか、今回は特に印象に残ったのでしょう。
で、何が言いたいかというと、私も以前は同じ状況であり、CDを集めたり大量にCDレンタルしたのをコピーしたりして(もちろん個人で聴く範囲です)、そこそこの枚数のCDを持っていたのです。
しかしミニマリズムを知り断捨離してた時期に20枚くらい残して全て売ったり捨てたりして手放しました。
するとどうなったか?というと、CDを手放したから何か不具合が起こったわけでもなく、とてもスッキリしました。
もちろん、客観的に考えると音楽をやる以上はCDはある程度の枚数は持っておいた方がいいと思うので、このCDの断捨離しきった状態を永続させるのはどうかなと思うのですが、「自分の音楽性というか、バックグラウンドについて行き詰っているとき」は、「一度やってみる」のはいいかと思います。
さらに、ドラムの演奏に関してもまず自分のバックグラウンドとなる音楽ありきなので、もう一度まとめて整理すると…。
- CDを断捨離→自分のドラマーそのものとしてもバックグラウンドを整理できる
- 楽譜を断捨離→自分の演奏のバックグラウンドを整理できる
ということで、ここで前回のインナーゲームの話が加わりますが、要は何かを上達しようと思っても大事なことはいっぱいあるのです。
その大事なことを一度にこなそうとして上手くいかないときは一回まっさらにすることや、一つだけのことに集中することが効果的であるということですね。
このことが私が「インナーゲーム」の中に感じられたミニマリズムだったというわけです。
というわけで今回はこの辺で。
ではでは。