楽器が続かないのは音楽の「才能」や「センス」がないから…!?

はじめに
さて今回はドラムの話もありますが、「楽器が続かない理由」というちょっとドラム講師っぽいことを書いてみようかと。
まぁゲームやスマホや趣味に明け暮れている子供と違い大人になると「家と仕事場の往復だけ」とか「趣味が欲しい」とか「楽器をやってみたい」…とかいう声がちらほらと聞こえるのですが一方で「昔楽器をやっていた」とか「楽器を始めたけどすぐに続かなかった」なんて声も聞きます。
つまり今回の記事で何が言いたいかというと「楽器をやってみたいけど続くのかが心配」という方に向けて、「楽器を続かせるには?」ということをお伝えしたいと思いますので、
この記事の内容に共感していただけたのなら「安心して」楽器を始められると思います(才能とかセンスはこの際は関係ありませんのでご安心を)。それでは本題に。
結論→一人でやらない
最初に結論ですが「一人でやらない」これに尽きます。
つまり音楽の元々の起源は祭りであったように、音楽はの基本は人と人のコミュニケーションというわけなので、一人で楽器をやると最初は楽しくてやりがいがあっても続けるのは難しいかなと。
これは決して「バンドを組もう!」という話だけでもないですね。もちろんバンドを組むのでもいいですし、楽器のレッスンを受ければ講師とのコミュニケーションがありますし、また動画で投稿すればPVやコメントなど、視聴者とのWEB上でのやりとりがあるということです。
特にソロ楽器の要素が薄いドラムはその意味合いが強く、要は「人とやらないと成立しない楽器」といっても言い過ぎではないと思います。
仏教の動画から学ぶ「モチベーション」
ということで、一通り私の持論という形での結論を書いたところで、このお話の裏付けをしていきましょう笑。
最近寝る前に、僧侶でありながらYoutuberでもある大愚和尚の動画を聞いているのですが、その中の動画の一つに「人間の意志では物事は変えられない。だから環境を変えるしかない」というお話があります。
これを今回の記事の内容になぞらえれば「楽器を継続しよう!」という自分の意志で継続するのはとても難しい、ということです。
これがバンドを組んでたり、レッスンを受けていたりすると「やばい、次のスタジオまでに〇〇を練習しとかないとお」と半ば強制的に自分に練習メニューを課す、ということなのです。
こう書くと「そこまでストイックにしないといけないの?」と思う方もいるかもしれませんが、要するに「音楽は人ありき」ということなのかなと思います。
ミニマリスト的な視点
もう一つ、このブログの本分でもあるミニマリスト的な視点からも考えてみたいと。ミニマリストといえば、ご存知・佐々木典士さんということで…以前にこちらの記事でも「ぼくたちは習慣で、できている」という本のレビューを書きました。
人間の「意識的な」意思決定の仕組みは大変あやふやなものでして、要するに「楽器を練習しようか、どうしよう…」と意識にあげた時点で、「今日はいいや、明日にしよう」とか「今日は飲みに行こう」とかその意思決定はあやふやになるということです。
なので本書では無意識的にできる行動であるところの「習慣」にまで自分が達成したいことを落とし込むことの大切さを書いてありますが、この「習慣」こそが「他人ありき」の環境、つまり「バンドを組む」「レッスンを受ける」「動画を投稿する」などの「他人ありき」の環境そのものなのではないかと思うわけです。
終わりに
というわけで今回は楽器が続かない原因について書いてみましたが、逆にここさえ理解しておけば、楽器を続けられる環境さえ作ってしまえば、あとは自然と上手くなっていくわけで。
なので楽器を続ける・続けないは「音楽の才能やセンス」は関係ないかなと思います。
そして楽器が弾けるとプロになるならないは別として、確実に人生が豊かにはなるので…楽器を練習するのと同じくらいにこの環境作りは大事なわけですね。ではでは。