ドラミングとミニマルミュージックの関係~変性意識状態との関連性~
さて前回より記事のテーマを広げる宣言をしたものの結局は今回も前置きの長いドラムの話になりますが。
今回のメインテーマは以前に書いた、ドラマーの演奏中の意識状態についてを、また別の切り口で書いてみようかと。
ところで私はこのブログでもミニマリズムについて度々触れてますが、今現在ミニマリストを掲げているミュージシャンの方があまり見つからなくて…(知ってる方情報下さい)今現在知ってるのはこの本↓
…に載っていた、伊藤光太氏。
ミュージシャンはどうしても機材がかさばってしまう、つまり真面目に音楽をやろうとするとミニマリストになるのは難しいという矛盾がどうしてもでてくると思うのですが、伊藤氏はPC1台で音楽を作っているというところに私も感銘を受けました。ただブログを拝見する限り更新が止まっているようで…今は音楽活動はされてないのでしょうか…?
そして、音楽とミニマリズムの関係についてもう少し掘り下げていこうと思いますが。
そもそも音楽の起源は宗教や信仰とともに始まり、それが近代になると思想や経済にも影響されて形を変えてきました。その流れの一端として1960年代に音楽版ミニマリズムとしてミニマルミュージックというジャンルが発生しました。
私がおすすめする代表的なのはこの辺ですね。(ベタですが…)
まぁここでミニマルミュージックの定義を書くのも若干不毛な気がするので。私が勝手に思うミニマルミュージックのミニマルたる所以を書くならば、
「ひたすら一定のメロディー(音型)繰り返す」というところにあるということでして、つまりそれは曲の展開とかコード進行とかを最小限に抑えたジャンルだということです(ただし多少起伏はありますが)。
さらに書き加えるならミニマルミュージックは禅の影響も受けたものでして、禅に関しては以前過去記事で「数息観」について書きましたが。
要は「同じことを繰り返しやる」というところにミニマルミュージックの真髄があると思うのです。
そしてこの「あることを繰り返しやってる」となにが起こるか?
これが今回の記事のメインテーマなのですが、結論を言うと…意識レベルが下がってきます。
要するに俗に言う「トランス状態」とか、「ぼーっとしてる」状態ですね。これを変性意識状態と呼んだりフロー状態と呼んだりするわけですが、何が言いたいかというと、ドラムについてもこの「繰り返し」が演奏の本質ではないかということです。個人の見解ですが。
つまり、8ビートにしても4ビートにしてもリズムは繰り返すことでリズムという塊(音のゲシュタルト)ができあがるのであり、必然とリズムを叩き続ければ変性意識状態になる可能性はあるわけです。変性意識状態については以前も書きましたが…ライブ本番時の緊張を取り除いて自分の力を最大限に引き出すにはこの変性意識状態になることが大事だと思います。
しかし、ここでひとつ問題が。
それはドラマーは「小節数をカウントしてないといけない」という役割が大きいということです。
(例えば8小節のコード進行を4周繰り返したら次のセクションで…みたいな)
すると、あまり頭で考えすぎるとせっかく作れた変性意識状態が冷めてしまいます。つまりあっちを立てればこっちが立たないみたいな二律背反の状態をどう対処するか?が問題なわけです。
これは人それぞれやり方があると思いますが、私の場合は共感覚に頼って対応しています。
というわけで今回のまとめになりますが…
・ミニマルミュージックの様に同じことを繰り返す音楽は変性意識状態を作りやすい
・ドラミングにおいても同じようなことが言える
・しかし完全にその状態になると自分がどこを演奏しているか見失ってしまう
・ではどのように対処したらよいか?
という感じですね。次回はこの「共感覚」について書いていきたいと思います。
ではでは。