ミニマリストなドラム講師によるドラム論と音楽論。

ミニマリストは今後流行らなくなる?

 
WRITER
 
部屋
この記事を書いている人 - WRITER -
ミニマリストの視点と心理学や物理学を使って「最速最短でドラムが上手くなる」レッスンをしているドラム講師です。
詳しいプロフィールはこちら

はじめに

さて今回もミニマリストネタ。

 

「最近ドラムの話し少なくない?」と思った方もいると思いますが、ブログのネタ出しについては今のところ自然に湧き上がってくるトピックを優先しているので、ここ最近の私の思考…ということにはなってしまいます。

 

で、今回はこちらの動画を見た感想。「しょぼい起業で生きていく」という本でお馴染みのえらいてんちょうこと、えらてん氏の動画です。

内容を要約すると…

✔︎ミニマリストは今後はやらない

✔︎ミニマリストの環境は独身なら良いが子育てには適さない

✔︎後世に受け継がれない主義は長くは残りにくい

というもの。

タイトルからはミニマリストへの批判とも取れなくないですが、これを見て「ミニマリストと住環境」に関してちょうど考えていたことがあるので、こちらで書いてみようかと。

というわけで早速本題に。

結論→「何もない部屋」にしたその後は?

部屋

結論としては、ミニマリストの「部屋の境界」を自分なりに考えることが大事かなと思います。

 

つまりミニマリストはあくまで手段だから、「生活を充実させて」「自分の身体や気持ちを整えて」「やりたいことに打ち込むための」という目的なので…もっと自由に考えても良いのかなと思います。

 

つまり極端なことをいうと「部屋が散らかっているとか、部屋が空っぽだとかは究極的にどちらでもいい、でもミニマリストではある」ということが大事なのかもしれないなと思います。

 

こうかくと「ミニマリスト=空っぽの部屋」というイメージを持たれている人は混乱するかもしれませんが、私がなぜミニマリストをやっているかというと「自由な精神」が根っこにあるからなのですね(もともとロックバンドをはじめたのもそこが原点だったり)

 

…というわけでますます混乱してきたかもしれませんので順を追って説明していきます。

ミニマリストは「シェアの精神」

コワーキング

まずミニマリストはモノを所有しないだけに「シェアの精神」を持っています。

例えばこんな感じで、

✔︎近所のコンビニは大きな冷蔵庫

✔︎近所の図書館は大きな本棚

✔︎近所の公園は広い庭

✔︎近所のカフェは広い所在

…などなど、つまり家にあるモノ以外でみんなでシェアできるものも自分の空間として使っているわけです。

 

これに対して、自分の家の中はモノを完全にない状態でピカピカにして暮らしても、例えば都会に通勤している人なら一歩外に出ればノイズまみれの空間。

 

平日フルタイムで働いている人だとすると圧倒的に家ではなくて外の空間にいることが多い。これだといくら家の中のモノを減らしても、果たしてミニマリズムな生活なのか?ということですね。

 

もちろん自分の家は一日の終わりにエネルギーをチャージする基地のようなモノですから、家の中はキレイでも全然いいんですけど、そうじゃなくてもありなのではないかと思うわけです。

家以外でもミニマリストであろう

ウォーキング

つまり家の中が空っぽでもそうでなくても、外に出た時も常にミニマリストであり続けることが大事なわけです。

 

例えば一例を挙げるとこんな感じ。

✔︎カバンと財布の中は常に整理整頓→カバンと財布は自分の持ち物の最小単位ですから、荷物は常に最小限が原則

✔︎服装はシンプルに基本的に同じ服→これは家の中とは関係なくできることです

✔︎スキマ時間に作業→ミニマリストは生活空間の至るところが作業スペースです

✔︎ノイズの多いところに行かない→仕事場の立地の制約はある人もいますが、食事で入るお店や通る道などは極力落ち着いたところを選び続けると良いです

✔︎常にマインドフルネスな思考→過去の心配、未来の不安、不景気なニュース、他人のどうでもいい言動といった情報の断捨離で、思考をスッキリすることです

自分と他人の「境界」は?

群衆

ちょっと家の話からそれましたが、これって「ミニマリストは自分と他人との境界を上手く活用していくべき」だということなんです。

 

つまり、家の中を空っぽにしても、しなくてもミニマリストであり続けることはできるのかなと。これは「シェアできるものはシェア」という外に開かれた自分と、一方で「無駄なノイズは取り込まない」という、自分の内側の境界をしっかり保つ自分が同時にいる感じですね。

 

私はヨガをやっていますが、ヨガのいいなと思うことの一つが「ヨガは自分の身体ひとつで、そこにヨガマットを敷く」というところ。

 

するとその、ヨガマットの領域が自分の世界になるのです。そこを拠点として外界の自然を感じたり自分の身体に意識を向けたりするのがヨガなのかなと思います。要するに自分の家の究極の形ってこのヨガマットと同じなのではないかなと思ったりもします。

 

ちょっと蛇足ですが、究極的な自分と他人の境界って自分の「身体」なわけです。最近またジムに行きはじめて、鍛え上げられた身体の人が冬場でも薄着でいるのをるたびにミニマリズムを感じるのはこのためなのですね。

おわりに

というわけで、今回は好き勝手に書いてみましたが結論としては「自分の他人の境界について考えてみる」ことが大事かなと。

 

堀江貴文氏などは家を持っていなかったり、ダニエル・ノリス氏みたいにあえて車で生活する大リーガーもいたり…この「自分と他人の境界」については色々考えさせられます。

それでも私はミニマリストというアイデンティティが好きなので続けますがね笑。ではでは。

この記事を書いている人 - WRITER -
ミニマリストの視点と心理学や物理学を使って「最速最短でドラムが上手くなる」レッスンをしているドラム講師です。
詳しいプロフィールはこちら
スポンサーリンク




スポンサーリンク







- Comments -

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

Copyright© ドラムを叩くミニマリストのドラムレッスン , 2019 All Rights Reserved.