音楽家が「耳を鍛える」ときに気をつけたいこと

目次
はじめに
今回はドラムの話…ではなく人前で音楽をする人全般に向けて。テーマは「音楽家が耳を鍛えるときにの気をつけたいこと」です。
過去記事でも書きましたが、楽器や歌が上手くなっていくと耳が鍛えられてきます。これは「大音量に耐えうる鼓膜になる」とかではなく、「音楽の上手い下手」がわかるようになってくるのです。
ただこれ「だけ」だと、自分の期待する「評価」が周りから得られなくてやる気が下がってしまうと言うことが起こり得ます。
なので今回は「〇〇で悩んでいる」ことへのお悩み解決ではないのですが、初級~中級へとレベルアップするときにはぜひ知っておいても損はないかなと思います。
ちなみに上級者にとっては当然のことだと思うので、あしからず…(というか、これが分からないと上級者になれないので笑)。では本題に。
結論→2つの耳を持とう
結論は「2つの耳を持とう」ということです。
もちろん人間には耳は2つついてるんですけど笑、もう少し砕いていうと「2種類の聴き方を使い分けよう」ということです。
この2種類というのは何か?というと、極端にいうと…
①今現在の「専門家」としての聴き方
②楽器が全く引けなかった頃の自分の聴き方
です。
例えば学生の頃に大好きだったバンドを今聴くと「あれ、大してうまくないぞ?」と思ったことはないでしょうか?
これは完全に自分の音楽の聴き方が「専門家」へと近づいている喜ばしいことなのですが、同時に「完全素人」の自分はもういないということ。要は子供の心を失った大人みたいなものです笑。
「別にそれでいいのでは?」と思うかもしれませんが、もちろん自分一人で音楽を作るだけで満足できる人はそれで全く問題ありません。
ただ人前で音楽をやるのであれば(動画の投稿も含む)、聴く人のほとんどは楽器が弾けない人です。
ただ、そういう人たちに完全迎合しろというわけではなく、「①の自分と②の自分を意識して」日々音楽活動をしよう!ということです。
楽器が弾けない人は音楽の良し悪しを言語化できない
ただ「じゃあ楽器が弾けない人は音楽の良し悪しがわからないっていうのか!」と言われると、そういうわけでもありません。
ただ「なんで良かったのか、なんで悪かったのか?」が言語化できないんです。つまり「良いものはいいし、悪いものは悪い」という理屈です。
これがミュージシャン同士の会話になると「ここのコードが〇〇で、スケールは〇〇で、機材は〇〇で」とか「ここのリズムの縦線が…」となります。
つまり感覚ではなく、すぐに言葉にしてしまうんです。これもこれでいいんですけど「これだけ」だと片手落ちということなんですね。
「大多数の人が当たり前に感じる感覚」を大切にしてみる
とはいえ、「自分が楽器が弾けなかった頃の感覚なんてもう思い出せないし…」と思う方もいるかもしれません。そんなときは「大多数の人が当たり前に感じる感覚」というのを大事にしてみるといいと思います。
例えば、「赤」と「青」という色があります。
これをイメージした時に「赤は情熱、怒り」「青はクール、悲しみ」というイメージは多くの人に共通するものでしょう。
また、「高級なお寿司や焼肉は美味しい」「晴れた日は気持ちがいい」などもそうです。音楽的にいえば『「ドミソ」の和音は明るく聞こえる』などもそうですね。
このことを考えると、例えばギターの早弾きを例にとってみます。
ものすごいスピードで難しい運指で弾けるけど、弾き方や音作りがいい加減で音色がイマイチだったり、ビブラートやチョーキングが雑なギタリストがいたらどうでしょう?
最初は「速いなー!すごいなー!」となりますが、多分そこで飽きられたりします。
それは楽器を弾かない人にはインパクトはすごいんですけど、「あのギタリストはフレットの押さえ方が微妙だよね」とかは知らないので、言葉にできない。ただ「印象に残らない」ということで片付いてしまうということですね。
ドラムでいうと早くて難しいリズムを雑に叩くドラマーを見て「すごい!」とはなりますが、「楽器間のバランスが悪い」とか「スティックの音色のコントロールがイマイチかな」とかは楽器をやらない人は言語化できないのです。
ここまでをまとめると、大多数の人が「上手い」と感じる演奏は結構普遍的なのではないか、そしてそこにアプローチできる音楽家が大勢の人から評価を受けるのではないか…と思うわけなんです。
楽器が弾けない人との会話を大切にしよう
というわけなんですけど、残念ながら「過去の自分の聴き方」には戻れません。なので、大事なことは「楽器を全くやらない人」との会話を大切にするということですね。
その際にぼんやりと話すのではなく自分と違う意見が出たら「これは楽器の習熟度の違いなのか、単に好みの問題なのか?」ということを常に考えておくとめちゃくちゃ自分のプレイに役に立ちます。
まさに「生きた教材=人」から学ぶ、ということですね。
終わりに
と言うわけで今回言いたかったのは「楽器が弾けない人の視点も忘れてはいけない!」と言うことでした。
とはいえ、音楽はアートと大衆受けのバランスがとても難しいのではないか…と思います。なのでその「絶妙なバランスが取れる人が有名になる」と言うことかなと思いますね。ではでは。