「ノイズ」について考えてみる①~四角大輔氏の著書より学ぶ~
今回はミニマリスト的なお話です。テーマは「ノイズ」。
ここでいうノイズとは、いわゆる音のノイズではなく、環境のノイズです。
そして最近、私がノイズのことをよく考えているのでここらへんで一旦記事にしてみようかと。
まずきっかけは、「モバイルボヘミアン」の著者としても知られている四角大輔氏のこちらの著書。
ちなみにこの本、「20代で…」決してそんなことはございません。むしろ30代、40代の方が響くのではないかと思ったりしています。
で、その中の一説に「ノイズ」について言及されている部分があるので以下引用。
■ノイズになるものは、目の前に置かない。そういうライフスタイルが、ぼくの発想力や行動力をパワフルにしてくれていると思います。
■社会で生きているとわれわれは広い意味での「ノイズ」にさらされています。そのノイズのせいで、「ありのままの自分でありたい」と願っても、自分らしく生活することは難しく、いつの間にか「別の自分」を演じてしまう自分がいます。
■孤独な時間を通じて、ノイズを消していく。そして自分と向き合う
…どうでしょうか。特に「孤独な時間」と「ノイズを消す」ということを結び付けている部分は非常に「腑に落ちた」感がありました。一冊本を読んでこの「腑に落ちた」部分が一か所でもあったらその本との出会いは成功だと思います。
そしてノイズについては薄々感じていましたが、今回こうして書面の文字で見ると、改めて再認識できる。これが読書のいいところです。つまり今まで自分が何だかよくわからなくてモヤモヤしていたものに言葉を与えるとそれが意識の上に上がってくるわけです。
そしてそれが不快なものであったら実体がわかればまきこまれずに距離を取れるのです。そう、私はこのノイズにずっと悩まされ続けてきたのだなと今回認識できたということです。
しかし私の本分である音楽、特にロック、ポップスに関しては考えて見ればノイズだらけです。つまり、歪んだギターとスネアドラムはかなりノイズ側の音です。そして私は大のメタル好き。まぁ好んで取り入れるノイズと望まないのに環境から押し付けられるノイズは違うものなのでしょう。
ついでにいえば、いくらメタルでも歌、鍵盤、ストリングス、シンセなどはノイズ寄りの楽器ではないので、そんな楽器の中でこそノイズが引き立つというもの。試しにこのように全部ノイズの音楽だと…
www.youtube.comだんだん頭の中がカオスになってきます笑
で、音楽と同列にしていいものかはいささか疑問ではありますがそろそろ本題。要は、私も住んでいる東京都心はノイズの塊です。ただでさえ人口密度が高いのに。もちろんこれが心地よい人もいるとは思いますが。試しにノイズを五感別に列挙してみましょう。
■視覚:多すぎる人間、チェーン店に代表される派手な看板、商品の色鮮やかなパッケージ、ラベル、雑多な建造物、夜でも過剰に明るすぎる照明…
■聴覚:店舗内での絶え間ない音楽、駅や電車や施設内で垂れ流しの音声放送、車の音、壁や建物に反射して耳に入る音…
■嗅覚・触覚:とにかく人間が多すぎるので満員電車などでは嫌というほど感じるのではないでしょうか
■味覚:ちょっと小腹がすいたから…といっても大概はコンビニ食で妥協。自然に近いものを摂取するのはむずかしいですね。
と、書き出すときりがなくなってきたのでこの辺でやめますが、要は
✔これらのノイズが好きな人
✔そもそもノイズを意識しない人
✔ノイズが苦痛な人
などが雑多に生活する空間が東京都心です。ちなみにこれらの問題に興味がある方は是非一度こちらを一読下さい。哲学者・中島義道氏の著作はミニマリストとも親和性が高いのではないかと思うのでまた改めて紹介しますが。
で再び本題に戻すと、外界の環境は悲しいことに変えられないので自分の家からノイズを取り払うしかないのですが、そんな事を考えていた時に出会ったのがこの本でした。
というわけでなんと、ここまでが前置きになってしまいました笑
本題は次回ということで…すみません。
ではでは。