ミニマリストが考える「断捨離の本当の意味」とは?

はじめに
今回はミニマリストのお話。テーマは久々「断捨離」
私事ですが今回のコロナによる自粛生活で、買い物に行く機会も格段に減りまして。そのためか、以前よりも持ち物を減らすことに成功しました。
というのは、いくら自分では断捨離しているつもりでも「何となく捨てないもの」というのは確実に存在していたんです。
でも日々の忙しさに追われて、その「何となく捨てないもの」がホコリを被っていたんです。
その過程ではもちろんメルカリで「いらないけど捨てると心が痛むもの」などを売ったりということもありやっぱり持ち物を減らすにはある程度のまとまった時間が必要なんですね。
で、話をもどしまして。
最近マインドフルネスや瞑想やらを学んだり実践する中で、この断捨離への理解が少し進んだような気がするので、今回はその辺のことをこちらでもシェアしたいと思います。
結論→断捨離は「型」である
今回の結論としては「断捨離は型である」ということをお伝えしたいと。日本で「道」と名がつくものには「型」があります。
私も以前に「合気道」を習っていましたが、この「型」というやつは、最初は何をやっているのかよくわかりません。
いわゆる「動きを表面的に真似している」に過ぎないんです。
でもそれを地道にやっていくと、「何のためにやっているのか」がちょっとずつわかってくるんです。
これは楽器でもそうですが、ドラムの場合でもスティックで板をポコポコ叩く基礎練習なんて退屈以外の何者でもありません笑。
でもそれを地道に続けていくと次第にその意味がわかってくるんですね。
で、話を戻しまして。今回のテーマである「断捨離」もミニマリスト道(?)なるものの「型」であると最近思うのです。
もちろん断捨離を続ければ「部屋がスッキリして掃除がラクチン」「無駄な出費が減って節約」なんて効果もありますが、それはあくまでおまけに過ぎません。
では「断捨離は何の型なの?」というと、「思考のノイズを減らす型」だと私は思います。
ここでいう「思考のノイズ」とは、簡単にいうと「自分にとって楽しくない余計なことを考えてしまうクセ」とでも
言っておきましょう。
マインドフルネスの状態とは?
ということなので、断捨離なんかしなくても「思考のノイズ」を振り払うことができればそれはそれでいいわけです。
社会的に大きな結果を出した人全員の部屋がミニマリスト みたいなガラリとした殺風景な部屋なはずがないのです。
ただ「思考のノイズを減らしたい」と思っても減らせない人は、まず「型」から入るのが手っ取り早いのです。
昔ヨガも習っていましたがヨガがなんであんなにいろんなポーズをとるのか?というのも身体使う「型」をすることで、だんだんと余計なことを考えない集中した状態に近づけるから、なんですね。
なので断捨離をすることで、確かに自分の身の周りはスッキリするかもしれませんがそれはあくまでも「型」をやっているに過ぎません。
よく「ミニマリストってそんなに物欲我慢して幸せなの?」という意見をネットで目にしますが、それって、「合気道の方やって楽しいの?」とか「ドラムの基礎練習って楽しいの?」という質問と同じかなと。
もちろん「部屋の整理をしたい」とか「節約したい」という動機で断捨離を始める人も多いとは思います。
しかし続けるうちにその段階で止まるかその先の「思考のノイズを減らす」という境地が見えてくるかは、どのくらい「ミニマリストを実践するか」で変わってくるのかなと思います。
寝るのが楽しみになってきた
というわけでここまでが本編なのですが、最後にちょっとおまけ。私が最近取り組んでいるのが寝室周りのものを減らすということです。
昔から寝付きが悪く寝るのがあまり好きではなかったんですが、好きではないことを気合で好きになるのって難しい。
そこで「寝るという行為を楽しくできないものか」と考えた結果、寝室周りの物を減らすということをしてみました。
そうして、寝る前にアロマをたらしたり、かなり前に過去記事で紹介した間接照明を足元に置いたりすると、なかなか快適な空間に。
そうすると、そこで「瞑想をして寝る」というルーティンができて寝るのがちょっと楽しみになりました。
過去記事で書いたように飲酒の回数も減っていいこと尽くめです。
おわりに
というわけで今回は断捨離のお話でした。
「断捨離はあくまでも型である」というのが今回のテーマだったんですけど、「断捨離したいけどできない」という人の何と多いことか…と日々思います。
そんな時は「型」をやるくらいの気軽な気持ちでやってみると、思いも掛けない良い変化が起きてくるかもしれません。
よければご参考までに。ではでは。