ドラムにおける「スポーツ」要素と「楽器」要素について
前回は「エッセンシャル思考」を参考にドラマーの個人練習のメニューの考え方について書きました。
今回も書き足りなかったことがあったのでその続きです。
さて前回の記事ではドラムの個人練習の際に、
・ルーディメンツなどのスネアドラム単体の練習はなるべく自宅の練習台で
・スタジオではなるべく身体全体を使った曲の練習(リズムパターンでも良い)を
という風に「住み分け」をすることを提唱しました。これも「あれこれ練習メニューに詰め込み過ぎて結局だらける」という展開を未然に防ぐための工夫と言えます(そんな大層なことではないか…)。
という風にエッセンシャル思考は楽器習得の上でも非常に使えるものであると思いますが(といいつつ、本の書評記事はまだですけど)、例えば今書いたように練習メニューの住み分けにも使えるわけです。
そして今日の本題なのですが、前回の記事で書かなかったドラムの個人練習においてのもう一つの大事な「住み分け」があります。
先にバシッと結論を書きたいのですが、うまくまとまらないので回りくどい話からお付き合いください。よく、「ドラムはスポーツ」なんて言われたりしますが、これは私的には「半分正解」かなと思いまして。
というのは、やはり他の楽器に比べて明らかに肉体を使うのは確か。ドラムの筋というか勘はいいのに体幹や運動能力がそれについていかず「惜しい」というドラマーをよく見かけます。(自分のことは棚に上げますが笑)
しかし、ドラムは「スポーツだけ」ではなくやはり「楽器」なので、音楽としての表現力も大切。というわけで、両方やっていかないといけないんですけど、一度に両方は大変。そこでさっきの「住み分け」の話が出てきます。それは個人練習に焦点を当てた時に、
①スポーツとしての側面
②楽器としての側面
この2つで住み分けることす。もちろん両方一度に練習できるに越したことはないです。しかし欲張ると変なクセがつく恐れがあるので、ここはエッセンシャル思考で考えてみましょう。
私がお勧めするのは、
①の「スポーツとしての側面」は個人練習で
②の「楽器としての側面」はバンド練習で
という住み分けです。具体的にはどういうことかというと。
まず①ですが、個人練習では曲に合わせて叩くことを前回の記事でお勧めしましたが、ただ漫然と叩いているのでは効率が悪いし、何より長時間やると飽きてきます。そこでこの「スポーツとしての側面」を取り入れることにより練習の効果をよりよくできるのではないかと。
つまり…
・自分の打音の音量や音色を曲中で常に安定させること
・クラッシュシンバルを叩いた直後の叩きだしのタイミングをもたらせないこと
・複雑なフィルの後のタイミングがずれないこと
…等、
この辺の要するに「安定感」的な部分こそが「スポーツ的側面」であり、一人で練習しているからこそできる練習なのではないかと。
一方、②の方は、一緒に演奏する相手がPCやipodではなく生身の人間だからこそ活きてくる練習だと思います。要は、いくら曲に合わせて上手く叩けても、実際に一緒に音を出す相手は生身の人間なので、その日の相手のコンディションに合わせてこちらの演奏を微調整していく必要があるので。
なので、バンド練習なのに①「スポーツ的側面」に特化した練習をやっていたら、それは周りに合わせない人という目で見られてしまいます笑
なので、バンド練習のときはある程度①のことは忘れてドラムの表現力に重点を置いた練習をしてみると新しい発見があるかもですね。まぁライブ本番は両方大切ですが、あくまで練習に対する取り組みということで今回はこんな話を。
ではでは。