ライブが成功する理由と失敗する理由について考えてみました

はじめに
今回はドラムの話…もしますが、音楽をやる人全般に向けてのお話です。
というのも、先日私のバンドで長丁場のライブをやったんですけど、過去記事にも書きましたがその時は風邪が治ってなくて体調的には絶不調だったのにも関わらず、私の中では非常に良い演奏ができたと思っています(これまで数え切れないほどライブをしてきましたがその中でも一番、の出来でした)。
もちろん練習もしていましたが、その日のステージに立っていた時の「自分の感じ方」が何かいつもと違うなと思いまして、そのことに関してブログでも書きたかったのですが上手い言葉が浮かばなくてずっとタイトルだけメモして保留にしていたんですけど。
ようやく思い浮かんだので、今回のライブを通しての気付きみたいなものをこちらでもシェアしてみたいと。なので今回は特にお悩み解決系の記事ではありませんが、「ライブでいつもの力が出せない!」とお悩みの方には何かのヒントになればと思います。では本題に。
結論→音楽の本質は「儀式」である
今回の結論としては「音楽の本質は儀式である」ということです。
これはどういうことか?というと、どうしても現代の「音楽」ということを考えると、お金を撮る撮らないは別として演奏者であるアーティストが、「会場を借りて聴き手であるお客さんをそこに呼んで、一定の時間を拘束して、演奏者が演奏を聴かせる」という構造を考えがちですが、これって要は「演奏者の発表会」という構造なんです。
しかしもともとの音楽の形って、宗教的な儀式の一貫として「みんなで」行われていたところにその本質があるのではないかと。
つまりこの場合の聴き手は各宗教の「神様」みたいな存在だったわけなんですね。このことを考えると演奏者が、お客さんに演奏を「聴かせる」というのが、音楽の究極的な本質から外れているのであれば…当然それは上手くいくはずがないのです。
よく、演奏者が本当に良い演奏ができている時は「フロー状態」や「ゾーン」に入っていると言われますが、この時って、要は催眠に近い状態に入っているので自分と他人の境がいつもより曖昧になっている状態なわけですね(この辺の話に疎い方は、泥酔すると「自分と他人の境が曖昧になる」あの感じに近いです)。
私自身のことを振り返っても上手くできたライブは、お客さんに聴かせるというよりかは、何か目に見えない神様的なものに対して演奏をしていて…かといって、お客さんを無視しているわけではなくて、お客さんのパワーも借りている…そんなような感覚だったなと思います。(ちなみに私は完全に無宗教ですけど)
逆に上手くいかない時のライブは「お客さんに聴かせる」感じや「上手いと思われたい」感じが自分の中を占めている時ですね。この時はまぁ100パーセント上手くいきません。
ライブが失敗する理由
もう一つ面白い現象として、「スタジオでのリハーサルの方がなんで上手い演奏ができるんだろう?」と思った方もいると思います。これも単に「本番じゃなくて練習だから」という理由で片付けることもできます。
私もリハーサルで良い演奏ができたときは「これが本番だったらな」と何度思ったことかわかりません。
しかし、これも「音楽の本質は儀式である」ということを考えると、スタジオのリハーサルは当然お客さんはいなくて、一緒に音楽を演奏するメンバーだけがいます。
そうするとどうなるか?というと「お客さんに音楽を聴かせる」という意識がなくなり、「バンドメンバーと見えない何か(神様的なもの)に音楽を届ける儀式」的な要素が強くなる、だから音楽の本質により近づいている状態なのではないか、とも思うわけです。
なので、仮にライブ本番でお客さんがガラガラの時は気持ちをこのようにシフトするだけでも、とても充実したライブができるのではないかと思います。
終わりに
というわけで今回はだいぶ抽象的な内容をお話ししましたが、「練習では上手くいくのにライブ本番では上手くいかない」とお悩みの方は自分の過去のライブで上手くいた時の精神状態と失敗した時の精神状態を振り返ってみると良いと思います。
また「一度も上手くいったことがない」という方は上手く行った時のスタジオでのリハーサルをちょっと振り返ってみると良いと思います。
よく「あの人は本番に強い」という言葉がありますが、それってひょっとしてこの「音楽の本質」をしっかりと捉えられている人のことを言うのかもしれませんね。ではでは。