絵画を見ているような音楽~絵は時間軸がないアート~
先日書いた共感覚がらみの事でまた1つ。
少し前にsugizo氏(LUNA SEA,X JAPAN)のソロアルバム「音」を購入しまして最近また聴いてます。
氏のソロに関しては1STの「TRUTH?」が好きでよく聴いてまして。
そこから最近はご無沙汰してましたが何気なくプレビューを聴いたら気になったので買ってみました。
www.youtube.comサウンドはギターやバイオリンは前面に出ていない全編インストの電子音楽。スティーブ・ライヒのようなミニマルミュージックな感じもあり、隠しトラックではジョージハリソン(ビートルズ)のソロ作品のようなアバンギャルドなノイズミュージックだったりという感じですが…初めて聴いたときに何か不思議な感じがして、でもなぜかそれがクセになるような感覚で。それが何なのかが自分でもわからず。しかし何となく分かってくるとおもしろい発見が。
それは、ドラムの使い方。特にトラック1.2.4.6のドラムがとても興味深いです。
ドラムって本来は車のエンジンのように曲全体をぐいぐいと引っ張る役割が多いと思います。打ち込みドラムにしてもそれは同じでどうやって曲に躍動感を与えるかというところにみんな工夫を凝らすわけです。
しかし、上記に挙げた曲のドラム(おそらく聴く限りは打ち込みだと思われます)はまるでドラムの音のクラスター(塊)が曲にペッタリと張り付いているようで、ドラムが曲を引っ張る感じが希薄に感じられて…その結果何が起こるかというとまるで「絵を見ている」様な感覚です。もちろん実際に時間は流れているので、あくまで絵を見ている感覚に「近い」感じです。
ここでちょっと脱線しますが絵と音楽の関係について。
私は絵についてはド素人かつ全くの門外漢ですが…先日もちょっと触れたように音を聴くと色が浮かぶ共感覚がどうやらあるようなので両者の関係は多いにありそうな気がしています。
しかし同じアートでも絵と音楽は何が違うかといえば「時間軸」の有無なわけです。
つまり絵は一瞬で鑑賞できますか、音楽はその曲の実時間だけ鑑賞するには必要なのです。
じゃあその音楽に備わっている時間軸を可能な限り取り除くとどうなるか?ということに関しては、一番簡単なのは遅いテンポでコード進行による起伏をつけないこと。わりかし「ニューエイジ」と呼ばれるジャンルがこれに近いかと。
しかし、Sigizo氏の「音」はこれとは対照的に、様々な音で埋め尽くされていながらも、時間軸を感じにくい…まるで絵を見ているような感覚を受けます。
これはゲシュタルト心理学でいえば…人間はとある集合のなかにある規則性や連続性をゲシュタルトとして認識します。ゲシュタルト心理学の基本法則は視覚について述べているようですが、これを聴覚に応用すると…音のゲシュタルトができると、それが規則性を持ち、そこにリズムが作られると…時間軸が生まれます。
(余談ですがクラシックの現代音楽の12音音列の作曲でも、連続した音列が和音になることは調性を生むので禁忌とされています。)
なので、時間軸を弱く打ち出す音楽を作るには、音はちりばめながらもあえてゲシュタルトを作らない(もしくは弱くする)やり方もありだなとこのアルバムから学びました。
で、共感覚の話ですが、時間の感覚は人間の五感にはカウントされないので(もしかしたら高次の感覚なのかもしれませんが)この「音楽を聴いて絵を見ているような感覚」は「聴覚」と「視覚」の共感覚のみというわけではないのではと思ったわけです。
その要因として、音のゲシュタルトが作る時間軸を今回考えてみたわけですが…考えてみると他にも何かあるかもしれません。
ではでは。